思考が刃となり自分を傷つける。意識は思考の歯車となり連続した攻撃性に虐げられる。
そこには幻想的な敵がおり思考から生まれる思想の支配下に置かれる。
そこには必ず否定がある。これもまた幻想的な場面作成、環境の自己解釈によるわがままの攻撃性で
必ず思考は溢れでる善意に導かれ相手を正義の制裁の生け贄にする。
思考は、一定間隔をおきながら常に動く。
日により自己解釈のもとで変わり続けて
その自己解釈を他者は変えることはできないが、人の表情に自分に対する攻撃性や威圧を感じなければやがて穏やかな方向へ変わる。
意識は思考の刃の占領下に置かれ、回り続ける、日々違う思想に支配され、やがて意識も別物になる。
肯定を求めれば、またそれは得られてすら、また自分を痛めつける。そして肯定されることすら自傷行為のような、不確かな思いだ。
肯定する以前の自傷行為の消滅。思考の刃を消すこと。意識の攻撃性の下から抜けでることだ。肯定されるではなく、幻想的な否定感覚の消滅の為に、自分自身が自分自身を肯定し続けて、思考の刃は消え、意識の攻撃性の下から脱することができる。
連続の自傷行為から抜け出し、連続の自己肯定に変わるのである。